
AI時代に残された誇り
ハーネスは、もう必要ない。
そう言われた日のことを、僕はよく覚えている。
金具の重さ。
革の匂い。
胸の前で揺れていたあの感触。
それは、僕が“仕事をしている証”だった。
人の歩幅を感じ、立ち止まり、曲がり角で合図を出す。
信号の音が鳴るまで、一歩も動かない。
それが、僕の世界のすべてだった。
でも今は違う。
彼の手には、白い杖の代わりに小さな端末がある。
道案内をする声は、僕ではなく、機械から流れてくる。
「もう大丈夫だよ」
そう言って、彼は僕の頭を撫でた。
その声は優しかった。
けれど、その日から僕はハーネスを着けなくなった。
家の玄関に座り、朝になるとハーネスをくわえる。
それは、習慣だった。
誰かに命じられたわけではない。
ただ、朝は仕事の時間だから。
彼はもう外に出る準備をしない。
僕の目を見て、少し困ったように笑う。
「ごめんな」
その言葉の意味を、僕はすぐには理解できなかった。
仕事がなくなるということは、待つ時間が増えるということだった。
家の中は静かだ。
足音も、信号の音もない。
ただ、窓の外を行き交う人の気配だけが、遠くにある。
人と動物とテクノロジーの関係が変わっていく時代の物語は、未来ペットコンパニオンと歩く日常でも別の形で描いている。
けれど、今この家の中で起きている変化は、とても小さく、とても静かだ。
ある日、彼は転びそうになった。
段差につまずいたのだ。
僕の体は、考えるより先に動いていた。
横に立ち、体で支える。
それは、教えられた動きだった。
でも、誰にも頼まれていなかった。
彼は驚いて、そして泣いた。
「もう、君に頼っちゃいけないと思ってた」
その言葉を、僕は聞き流した。
大事なのは、彼が無事だったことだ。
それから、僕は新しい仕事を決めた。
ハーネスは着けない。
命令も待たない。
ただ、彼のそばにいる。
段差の前で一歩先に立ち止まる。
夜道では、少しだけ前を歩く。
誰かに認められなくてもいい。
名前を呼ばれなくてもいい。
役に立たないと言われても、構わない。
僕は知っている。
必要とされることと、そばにいることは、違う。
そして、そばにいることは、仕事よりも長く続く。
今日も朝になった。
ハーネスは、玄関に掛かったままだ。
それでも僕は、彼の足音を待つ。
それが、僕が選んだ最後の役割だから。
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