
消えた影が残した想い
町内で“置き配チェック隊”として知られる柴犬のコハクは、毎朝きまって同じ道を歩いていた。
玄関前に置かれた荷物を鼻先でそっと確認し、異常がなければ尻尾をふる。
ただそれだけの行動なのに、近所の人たちは「コハクが見てくれているから安心だ」と笑っていた。
コハクの飼い主である亮太は、そんな評判を聞くたびに胸が温かくなる思いだった。
幼いころから犬が苦手だった亮太にとって、コハクは初めて心から寄り添えた相棒だった。
遠回りして散歩した日のことを綴ったエッセイひとこと小説「遠回りの散歩道」のページを、亮太はときどき思い出す。
あの日も、コハクと一緒に“いつもと違う道”へ足を向けたのだ。
ある日の夕方、仕事で遅くなった亮太が帰宅すると、コハクは玄関で落ち着かない様子を見せていた。
しきりに外を気にするように、何度もドアのほうを振り返っている。
「どうした、コハク。散歩の時間はもう少しあとだよ。」
しかし、コハクは聞いていないように見えた。
まるで何かを知らせたいかのように、低く短い声をひとつ漏らした。
夜になり、散歩に出ると、コハクはいつものコースではなく、細い路地へと亮太を導いた。
街灯の明かりが届かないその路地は、昼でも人通りが少ない場所だ。
コハクは急ぎ足だった。
まるで何かを追うように影を伸ばしながら、路地の奥へと進んでいく。
アスファルトに残る小さな足跡は、すぐに闇に溶けて見えなくなる。
それでも亮太には、その一歩一歩がはっきりと刻まれているように感じられた。
まるでひと言小説「消えた足跡」というタイトルが似合う光景だった。
「おい、コハク。そんなに急いでどうしたんだ。」
呼びかけても止まらない。
やがて、コハクの影がふっと消えたように感じた瞬間、亮太は立ち止まった。
そこには、小さな段ボール箱が置かれていた。
宅配業者の伝票は貼られているが、宛先の文字はにじんで読めない。
ただ、差出人の欄に覚えのある名字が見えた。
「……母さん?」
十年前に離れて暮らすようになってから、何度か近況報告のやり取りはあったものの、荷物が届くのは珍しい。
段ボールのふたをそっと開けると、古いアルバムと、封筒が一枚入っていた。
風に揺れた街灯の光が、封筒の文字を照らした。
「亮太へ」とだけ書かれたその筆跡は、確かに母のものだった。
胸の奥が熱を帯びるのを感じながら、封筒を開く。
中には短い手紙が入っていた。
――最近、体調を崩してしまい連絡が遅くなりました。
――あなたが昔描いた絵を見つけて懐かしくなり、送りたくなったの。
淡い言葉で綴られた文面から、離れていても変わらず想ってくれている気持ちが伝わってきた。
亮太は胸が少し締めつけられるような感覚に包まれた。
アルバムを開くと、小さな自分と、若い母の姿が笑顔で並んでいた。
そこには、まだコハクじゃない別の犬と遊んでいる写真もあった。
その犬の名前を呼んだ記憶は曖昧なのに、写真の中の自分は無邪気に笑っている。
ページをめくる指先が、わずかに震えた。
そのとき、足元でコハクが小さく鳴いた。
まるで「ここにあったんだよ」と知らせるように。
「おまえ……これを見つけて知らせたかったのか。」
コハクは尻尾を軽く揺らし、亮太を見上げた。
その瞳には、言葉を超えた何かが宿っていた。
帰り道、亮太は段ボール箱を抱えながら、ふと振り返った。
さっきまでの路地の暗がりに、影がひとつ揺れていたように見えた。
風のせいかもしれない。
だが、亮太にはこう思えてならなかった。
――コハクは荷物を守るだけでなく、俺の気持ちまで見守ってくれていたんだ。
家に帰ると、コハクは玄関で満足そうに座り、亮太の顔をじっと見つめた。
その表情はまるで「やっと届いたね」と言っているようだった。
亮太はコハクの頭をそっと撫でた。
「ありがとう、コハク。おまえのおかげだよ。」
その夜、亮太は久しぶりに母へ電話をかけた。
少しぎこちなく始まった会話は、やがて自然なぬくもりで満たされていった。
体調のこと、昔のこと、アルバムの写真のこと。
言葉を選びながらも、どこか素直に話せている自分に気づき、亮太は不思議な安心を感じた。
電話を切ると、コハクが静かに寄り添ってくる。
消えた影の正体が何だったのか、亮太には分からない。
ただひとつ言えるのは、コハクはいつも“届けるべきもの”を知っているということだった。
そして亮太は気づく。
今日届いたものは荷物ではなく、ずっと閉じていた気持ちそのものだったのだ。
コハクはそっと前足を伸ばし、亮太の膝に触れた。
その温もりは、何より確かな“届けもの”だった。
玄関先に並ぶ置き配の箱と同じくらい、いや、それ以上に大切な、心の中の荷物。
それを受け取る勇気をくれたのは、いつもそばで影のようについてくる、小さな相棒だった。
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