
それは生きているか確かめるためだった
夜の水槽は、昼間よりも音が少ない。
人の気配が消え、照明が落ちると、ガラスの向こうの世界はゆっくりと静まり返る。
水の揺れだけが、時間を刻んでいるようだった。
その中で、コツメカワウソたちは自然に集まり、互いの手をそっと重ねて眠る。
小さな指と指が触れ合い、ほどけることなくつながっている。
来園者はよく言う。
「仲がいいですね。」
「本当にかわいい。」
私はその言葉に、何度もうなずいてきた。
けれど、飼育員として毎晩同じ光景を見続けるうちに、ひとつの疑問が残った。
なぜ彼らは、眠るときだけ必ず手をつなぐのだろう。
昼間の彼らは自由だ。
水中を泳ぎ、石をひっくり返し、ときには別々の場所で過ごす。
常に一緒にいるわけではない。
それなのに夜になると、決まって同じ場所に集まる。
まるで、何かを確かめるように。
理由を知ったのは、先輩からの何気ないひと言だった。
「目が覚めたとき、隣にいるかどうかを確かめるためらしい。」
その言葉は短かったが、不思議と胸に残った。
眠るという行為は、無防備だ。
目を閉じているあいだ、世界がどうなっているのか分からない。
次に目を開けたとき、同じ朝が待っている保証はない。
だから彼らは手をつなぐ。
温もりがそこにあるかどうか。
自分がひとりではないかどうか。
それは、愛情の表現というより、生きていることの確認だった。
その夜、自宅に戻った私は、部屋の明かりを消した。
スマートフォンを伏せ、天井を見つめる。
冷蔵庫の小さな音だけが、部屋に残っている。
大人になれば、ひとりで眠れるものだと思っていた。
誰かに触れなくても、目を閉じられると思っていた。
けれど実際は、そう簡単ではない。
眠る前になると、ふと誰かを思い出す夜がある。
連絡を取りたいわけではない。
声を聞きたいわけでもない。
ただ、どこかで「ちゃんといる」と感じたくなる。
数日前、私は昔の友人に短いメッセージを送った。
「元気?」
それだけの言葉だった。
返事はすぐには来なかった。
それでも、送ったという事実だけで、心の奥が少し静かになった。
翌日、水槽の前で立ち止まった来園者が言った。
「ずっと一緒なんですね。」
私は少し考えてから答えた。
「ええ。でも、それだけじゃないみたいです。」
説明はしなかった。
けれど、手をつなぐ理由を知ってから、その光景は以前とは違って見える。
彼らは今日も眠っている。
小さな手を重ねながら。
明日が来ることを、確かめるために。
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