
笑顔の裏にあるもの
そのカワウソは、いつも笑っているように見えた。
水槽の前に立つと、小さな前足でガラスを叩き、くるくると水の中を回り、観客の視線を集める。
子どもたちは声を上げ、大人たちはスマートフォンを向けた。
それが、この水族館の日常だった。
私は、平日の昼間にここを訪れることが多かった。
人の少ない時間帯で、展示の裏側にある静けさを感じられるからだ。
動物を見るのが好き、というより、動物の「頑張りすぎない瞬間」を見つけたくて来ている。
そんな話をすると、友人に「それ、ちょっと優しすぎるだろ」と笑われた。
けれど私は、笑われたままでも構わなかった。
その日も、カワウソは水面近くを泳ぎ、いつもと変わらない様子に見えた。
ただ、どこか動きがゆっくりで、目線が合わない。
水の中の輪郭が少しだけ揺れて見えたのは、照明のせいだけではない気がした。
私はガラスの前で立ち止まり、深呼吸して、スマートフォンを出しかけてやめた。
前に一度、勢いで撮りすぎてしまった自分が、少し恥ずかしかったからだ。
「見ること」と「撮ること」が、同じになってしまう瞬間がある。
それを私は、ラッコのリロくんが遺した波紋を読んだ夜に、やっと理解した。
夕方が近づくにつれて、館内の空気が変わっていく。
足音が増え、笑い声が反響し、ガラスに小さな指の跡が残る。
「かわいい」「こっち見て」「回って」。
その言葉の数が増えるほど、私はなぜか、胸の奥が少しずつ重くなった。
その瞬間だった。
カワウソが水槽の奥へと下がり、岩陰のような場所で丸くなった。
最初は疲れているのだと思った。
けれど、しばらく待っても戻ってこない。
水面に上がってくる気配がない。
見ている人は、しだいに別の展示へ流れていく。
私は、その場を離れられなかった。
ほどなくして、飼育員が静かにやってきた。
水槽の前で立ち止まり、ほんの少しだけ首をかしげる。
そして、誰に向けるでもなく小さく息をついた。
「今日は、ここまでかな」
その声は、仕事の言葉というより、ひとつの気遣いに聞こえた。
私は、ガラス越しに奥を見つめた。
カワウソの体がわずかに震えているのが見えた。
水の中で、泡が細かく揺れる。
泣いているように見えた。
もちろん、本当に涙が流れているわけではない。
それでも私は、「泣いているように見える」という事実を、軽く扱えなかった。
帰り道、外の空気はやけに澄んでいた。
駅へ向かう人の流れの中で、私は自分の背中を押すように歩いた。
楽しい場所に来たはずなのに、なぜこんな気持ちになるのだろう。
けれど、その答えは、たぶん簡単だった。
私たちは時々、誰かの頑張りを「当たり前」にしてしまう。
それが人でも、動物でも。
それが「見せてくれるもの」であるほど。
翌週、私はまた水族館に来た。
入り口の掲示板に、小さな案内が貼られていた。
「展示内容を一部変更しています」
理由は書かれていない。
けれど、その一文は、十分だった。
カワウソの水槽には、以前よりも人との距離を取る柵が設けられていた。
照明も少し落とされ、音が柔らかく吸い込まれていく。
私はその変化に、ほっとした。
「もっと見せてほしい」ではなく、「少し休ませてあげたい」と思えた自分に、ほっとしたのかもしれない。
水槽の奥で、カワウソはゆっくりと泳いでいた。
派手な動きはない。
けれど、不思議と安心した表情に見えた。
私はガラスの前で、そっと両手を下ろした。
スマートフォンをポケットにしまい、ただ、呼吸を合わせるように見つめる。
その時、ふと、ミニブタカフェの奇跡、君に会う日で読んだ一節が思い出された。
大切なのは、会えた瞬間の派手さじゃなく、会い続けるための距離感だ。
そんな意味の言葉だった。
帰り際、カワウソと目が合った気がした。
一瞬だけ、こちらを見て、静かに水中へ消える。
その背中は、前よりも軽そうだった。
見ることと、理解することは違う。
楽しむことと、思いやることも、きっと違う。
水族館で泣いたカワウソは、私にそれを教えてくれた気がした。
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