
通勤駅で出会った一匹の猫の物語
朝のホームに、今日もあの猫がいた。
通勤客の流れの中で、ぽつんと座り込み、誰かを待つように線路を見つめている。
黒と白の毛並みが陽に照らされ、まるで駅の風景の一部のように静かだ。
私はいつからか、その猫を見るのが日課になっていた。
最初に気づいたのは、春の雨上がりだった。
ベンチの下で丸くなっていたその猫に、通勤途中の誰かが傘を差しかけた。
猫は軽く尻尾を振って、どこか誇らしげに鳴いた。
駅は急いで通り過ぎる場所だったのに、あの朝だけは立ち尽くしてしまった。
翌朝も、その次の日も、猫は同じ場所にいた。
時間になると姿を現し、夜になると消える。
まるで誰かとの約束を守るように。
駅員の話では、もう三年も通っているという。
「飼い主がこの駅から電車に乗って、それっきり帰ってこなかったらしいんですよ」と駅員は言った。
私は頷きながら、胸のどこかがきゅっとなるのを感じた。
夜のホームは、朝と違って風がよく通る。
猫はホームの端に座り、遠くから来る列車の灯りを見つめていた。
電車が通り過ぎるたび、目を細めてじっと待つ。
まるで「まだじゃない」と確かめているように。
私はそっと声をかけた。
「ねえ、君は誰を待ってるの?」
猫は振り向かず、小さく「ニャ」と鳴いた。
その声は、どこか寂しげで、それでも温かかった。
帰り道、駅という場所に宿る“待つ気持ち”について考えた。
人は誰かを待つことで、見えない糸に触れるのかもしれない。
ふと、似た情景を描いた短編「駅での再会」を思い出す。
時間に置き去りにされた想いがそっと手を伸ばし、再び結び直されていく感覚が、今目の前にいる猫の姿と重なった。
それから私は、駅に小さな皿を置くようになった。
水と少しの餌。
翌朝にはいつもきれいになっているから、他にも気にかけている人がいるのだろう。
いつしかこの駅では、猫の写真が朝のあいさつ代わりになった。
「今日もいたよ」「目が合った」——そんな小さな報告が、見知らぬ人たちのあいだに細い糸を結ぶ。
恩を忘れず、静かな仕草で返していく生き物のことを思い、「猫の恩返し?」という短編を読み返して、胸の奥に灯りがともるのを感じた。
ある日、見慣れない老婦人が猫の隣に座っていた。
話しかけてみると、「この子ね、私の息子がかわいがっていた猫なんですよ」と微笑んだ。
息子さんは数年前、遠くの街へ働きに行ったまま帰ってこなかったという。
猫はその日からずっと駅に通い続けているらしい。
「きっと、まだ帰ってくると思ってるんでしょうね」と老婦人は言い、猫の頭を優しくなでた。
猫は気持ちよさそうに目を細めた。
季節はいくつも巡り、駅前の桜が満開になった。
猫はその下で日向ぼっこをし、通勤客は足を止めて写真を撮った。
SNSでは「今日も会えた」「癒された」と小さな報告が重なり、毎朝笑顔が増えていった。
猫はただそこにいるだけで、人を優しくしていた。
ある朝、猫の姿が見えなかった。
駅員も心配して探したが、どこにもいない。
胸の奥が空気を吸い込めなくなるみたいに重くなった。
二日後、駅の掲示板に一枚の写真が貼られた。
桜の木の下で眠る猫の姿。
その隣には「ありがとう、また会おうね」と小さな文字。
駅員が静かに教えてくれた。
「昨夜、老婦人が来られてね……猫は静かに旅立ったそうです」
私はその言葉を聞いて、目を閉じた。
涙は出なかった。
代わりに、ホームを渡る朝の風が頬をなでた。
猫はもういない。
けれど、私がここで息を整え、電車に乗り込むたびに、足元に小さな温もりが寄り添う気がする。
振り返ると、桜の枝が揺れ、薄い花びらが線路の上に落ちていく。
「行ってらっしゃい」そんな声がした気がした。
駅は、別れの場所であると同時に、見えない再会が起こり続ける場所なのかもしれない。
待つことで生まれるやさしさが、誰かの背中をそっと押す。
猫が教えてくれたのは、急ぐだけでは届かない時間の歩き方だった。
私は今日もあのホームに立つ。
人の波に飲まれる前に、深呼吸をひとつ。
線路の先に、猫のしっぽがふわりと揺れたような気がした。


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