
立ち止まる習慣の理由
毎朝、同じ場所にカラスがいた。
それは通学路の横断歩道の手前。
なぜか誰も、その理由を知らなかった。
横断歩道の手前。
電柱の影が少しだけ落ちる、白線の端。
通学路のその地点は、特別な場所ではない。
住宅街の角で、車通りも多くない。
それでも、そのカラスは必ずそこに立っていた。
羽を広げることもなく。
鳴くこともなく。
ただ、じっと前を向いている。
最初は、誰も気に留めなかった。
次第に、小学生たちが気づき始めた。
「あのカラス、今日もいる」。
近づいても逃げない。
追い払おうとしても動かない。
不思議なほど、そこから離れなかった。
大人たちは言った。
「危ないから近づくな」。
「変なものを見るな」。
それでも、毎朝そこを通るうちに、子どもたちは自然と足を止めるようになった。
横断歩道の前で、立ち止まり、左右を見る。
それから渡る。
誰に教えられたわけでもない。
カラスがいると、なぜかそうしたくなった。
わたしはある日、登校の途中で少しだけ遅れた。
前の晩に眠れず、朝の空気がやけに重かったからだ。
横断歩道に着くと、いつも通りカラスがいた。
その黒い背中は、怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えない。
ただ、そこにいる。
それだけで、心が一度、落ち着く。
「見てるだけで、何かが整うことってあるんだな」。
そんなことを思いながら、わたしは左右を確認して渡った。
似た感覚を思い出した。
以前、見られる側の静けさを描いた短い物語を読んだことがある。
ただそこにいるだけで、周囲の視線や気配を受け止め続ける存在の話だった。
それが写真を撮られるだけのフクロウが見ていたものだな。
あのとき感じた、言葉にできない落ち着かなさと安心感が、今のこの朝と重なった。
声にしないのに、伝わってくる気配がある。
その気配が、人を立ち止まらせる。
ある日、雨の朝。
視界が悪く、車の音も近かった。
そのとき、一台の車が速度を落とさずに角を曲がってきた。
カラスは、初めて羽を広げた。
大きく。
道路に向かって。
運転手は急ブレーキを踏んだ。
横断歩道の手前で止まった車の前を、子どもたちが渡っていく。
誰も声を上げなかった。
カラスは、また元の位置に戻った。
何事もなかったように。
その日の夕方、近所の人が話していた。
昔、この横断歩道で「急いでいた朝」に起きた出来事があったこと。
詳しいことは、誰も語らなかった。
語られることも、ほとんどなかった。
翌朝も、カラスはそこにいた。
変わらず。
動かず。
それからしばらくして、いなくなった。
電柱の影だけが残り、横断歩道はいつも通りになった。
それでも、子どもたちは立ち止まる。
左右を見てから渡る。
それが当たり前になったからだ。
誰かが教えたわけではない。
ただ、毎朝そこに立っていた存在が、そうさせた。
守り方には、声も、名前も、説明もいらない。
ただ、そこにいること。
それだけで、伝わるものがある。
わたしは今でも、その白線の端で一瞬だけ足を止める。
見えない羽ばたきの気配を思い出しながら。
そしてふと、別の通学路の物語も思い出す。
駅の片隅で、人を待ち続ける小さな命の話だった。
それが駅に通う猫が教えてくれた小さな奇跡と人のつながりだ。
あの話もまた、誰かがそこに「居続けること」の意味を静かに教えてくれていた。
あのカラスが守ったのは、きっと「命」だけじゃない。
立ち止まる習慣。
気づく心。
今日を丁寧に渡り切るための、小さな合図だったんだろうね。
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