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鳴かないインコと夜勤看護師の静かな約束

声を預かる夜の病室

夜勤の帰り道は、いつも音が少ない。
朝に近づくほど街は白くなり、感情だけが取り残される。

私は病院の自動ドアを抜け、まだ冷たい空気を吸い込んだ。
今日も誰かの「言葉にならなかった思い」を胸の奥に残したまま。
何事もなかったように笑って、処置を終えて、記録を書いて。
それでも、誰かの目の揺れだけは、消毒液の匂いと一緒に残ってしまう。

ある日、同僚から小さな鳥かごを渡された。
「しばらく預かってほしいの」。
中にいたのは、黄緑色のインコだった。
健康そうなのに、鳴かない。
指を差し出しても、静かにこちらを見るだけ。

「前の飼い主さん、入院しててね」。
それ以上、彼女は何も言わなかった。
私はその沈黙の形が、病院でよく見るものだと気づいてしまった。
言えないのではなく、言っていいのか分からなくなる沈黙。

夜勤明けの部屋に、鳥かごを置いた。
カーテン越しの朝日が、羽を淡く照らす。
話しかけても、インコは声を出さない。
ただ、私の顔をじっと見ている。

病院には、声を出せない人が多い。
出したくても出せない人。
出してはいけないと思い込んでいる人。
私はそのどれにも触れながら、毎晩「大丈夫です」を配る仕事をしていた。

気づけば私は、インコに報告するようになっていた。
今日の夜、廊下の端で泣きそうだった新人のこと。
謝る必要のない人が、謝っていたこと。
家族の前では強がって、私の前でだけ眉をゆるめた人のこと。

その仕草が、ふいに昔読んだ短い物語の鳥を思い出させる。
言葉のかわりに、気持ちを運ぶ鳥。
私は小さく笑って、机の上のスマホを手繰り寄せた。
寝る前に何度も読み返した、ひと言小説のページを開く。
ひと言小説「青い鳥」
見つけたと思った瞬間に、ふっと消えてしまうものがある。
だから私は、いま目の前で黙って寄り添う存在を、ちゃんと見ていようと思った。

ある夜、私は疲れ果てて床に座り込んだ。
「大丈夫です」と言い続けることに、少しだけ疲れていた。
背中の奥に、誰にも見せない固い塊がある気がした。
それを触らないように、丁寧に避けて生きてきた気がした。

そのときだった。
かすかな音がした。
息が漏れるような、震える声。
インコが、鳴いた。

短く、弱く、でも確かに。
私は驚いて顔を上げた。
インコは、私を見ていた。
問いかけるでもなく、責めるでもなく。
ただ、ここにいる、と。

その夜、私は初めて口にした。
「本当は、怖い」。
誰にも言えなかった言葉だった。
言った瞬間、胸の奥で何かがほどけた。

インコはもう一度、鳴いた。
それは慰めでも、励ましでもなかった。
ただ、「聞いた」という合図のようだった。

それからインコは、時々鳴くようになった。
決まって、私が本音をこぼしたときだけ。
だから私は、意地悪みたいに試すことはしなかった。
この小さな声は、誰かの大切なものを預かっている気がしたから。

後日、同僚から連絡があった。
元の飼い主は、声を出すことが難しくなっていたという。
「この子、鳴かなくなったのはその頃かららしい」。
私は鳥かごを見つめた。
預かっていたのは、インコだけじゃなかった。
誰かの声そのものだったのかもしれない。

春が近づいたころ、インコは病院に戻っていった。
私は見送るだけで、引き止めなかった。
夜勤明けの部屋は、また静かになった。
それでも、不思議と寂しくはなかった。

声にしなくても、伝わるものがある。
声にしていい感情も、確かにある。
私は今日も夜勤に向かう。
誰かの沈黙を否定しないために。
そして、いつか何かが戻ってくるような再会を、怖がらずに迎えるために。

その「再会」という言葉を思い出したとき、私は足を止めた。
夜の静けさの中で、誰かに会い直す物語が、ふと頭をよぎる。
帰り道、ポケットの中のスマホを確かめながら、あの夜に読んだ一篇を思い出した。
ひとこと小説「月夜の再会」
失ったと思っていた声や気持ちは、時間を置いて戻ってくることもある。
そう考えると、胸の奥に、かすかな灯りがともった。

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ひと言小説「小さな声」
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小説「鳴かないインコと夜勤看護師の静かな約束」の後日談と続編は、noteにて公開しています。
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