本ページはプロモーションが含まれています

この犬は、僕を信用していなかった

檻の奥の静かな出会い

その犬は、吠えなかった。
保護施設の一番奥、薄い影が落ちる檻の中で、こちらを静かに見ていた。
目が合った瞬間、胸の奥に小さな違和感が生まれた。

普通は吠える。
人が近づけば警戒して声を上げるか、身体を引く。
けれど、その犬は違った。

こちらを見ているのに、見ていないようでもあった。
期待も拒絶もなく、ただ距離だけがあった。

「この子は静かですね」
職員がそう言った。
元は野で生きていた雑種で、人に慣れていないらしい。

静か、という言葉は正しくない気がした。
それは落ち着きではなく、判断を保留している沈黙だった。

檻の前にしゃがみ、手を伸ばす。
金網越しに指先が少しだけ近づく。
犬は動かない。

逃げもしない。
近づきもしない。

ただ、耳の角度がわずかに変わった。
それが、この犬なりの返事だった。

僕は勝手に安心していた。
吠えないから大丈夫だと、噛まないから安全だと。

けれど本当は、信用されていなかっただけだった。

犬の目は、過去を見ていた。
手を差し出す人間が、必ずしも救いではなかった記憶。
近づいた結果、置き去りにされた経験。

それでも吠えないのは、無駄だと知っていたからだ。

檻の中で学んだのは、期待しないという選択だった。

人と動物が再び距離を縮めるまでには、時間が必要だ。
それは奇跡ではなく、積み重ねの結果なのだと、後になって理解する。
以前読んだ物語の一節が、ふと頭をよぎった。
<a href=”https://honkini70.net/one-liner.novel/archives/315″ target=”_blank” rel=”noopener”>虹の橋の下で</a>。
そこに描かれていたのも、言葉のない再会だった。

「触れないほうがいいかもしれません」
職員の声に、僕はうなずいた。
手を引くと、犬の視線がわずかに下がった。

拒絶されたわけではない。
けれど、受け入れられてもいない。

その中間にある、冷たい空白。

名前を呼んでも反応はない。
名前が意味を持たなかった時間を、この犬は生きてきたのだと思った。

僕は立ち上がり、檻から一歩離れた。
犬はそのまま動かなかった。

ただ、背を向けた瞬間、床を踏む音が微かに聞こえた。
振り返ると、犬は檻の中で一歩だけ前に出ていた。

それ以上は、来ない。
来られないのかもしれない。

その距離は、犬が決めたものだった。

この犬は、僕を信用していない。
でも、それでいいと思った。

信用は、取りに行くものじゃない。
そこに置き続けるものだ。

人と動物の関係は、支配でも救済でもない。
ただ、隣にいるという選択の積み重ねだ。
そんな視点は、別の物語でも静かに描かれていた。
<a href=”https://honkini70.net/one-liner.novel/archives/710″ target=”_blank” rel=”noopener”>獣たちが語る僕らの真実</a>。

その日、僕はまだ何も始めていない。
ただ、吠えない犬と、同じ沈黙を共有しただけだった。

noteで読む後日談・続編はこちら

小説「この犬は、僕を信用していなかった」の後日談と続編は、noteにて公開しています。
施設を出たあと、この犬が見せた最初の小さな変化。
そして、距離が“縮まらなかったからこそ”生まれた出来事を描いています。

よろしければ、物語の続きをそっと覗いてみてください。

👉 この犬は、僕を信用していなかった・後日談(note)

コメント

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました