
黄昏の風に包まれて
夕暮れの公園を、ひとりと一匹が歩いていた。🐕🍂
冷たい風が落ち葉を巻き上げ、オレンジ色の光が長い影を作る。
老犬ポチは、白くなった毛並みを揺らしながら、ゆっくりと前を進んでいった。
「ほら、ポチ。こっちだよ」
青年・悠人はリードを軽く引きながら微笑む。
ポチはゆるやかに顔を上げ、短く尻尾を振った。🐾
この散歩道を歩くのは、もう何百回目だろう。
子どもの頃から変わらない景色。
けれど今は、見えるものすべてが少しずつ違って見える。
「……お前、覚えてるか。初めてここに来た日のこと」
ポチは立ち止まり、鼻をひくつかせる。
風の匂いを確かめるように、夕陽の光を受けて金色に輝いた。✨
あの日、土砂降りの雨の中で、小さな段ボール箱が震えていた。
中にいたのがポチだった。
びしょ濡れで、体は細く、目だけが真っすぐで。
あのときの決意が、悠人の人生を変えた。
大学へ進み、東京で働き始めても、いつも心のどこかにポチがいた。
実家に帰るたび、玄関の音を聞きつけて走ってくる足音。
歳を重ねても、その喜び方だけは変わらなかった。🐶
――だけど。
ここ一年ほど、ポチの足取りは重くなり、目も耳も少しずつ弱くなっていった。
それでも、散歩だけは毎日欠かさない。
この道だけは、彼にとって“生きている証”のようだった。🌅
ある日の夕方。
悠人は母から電話を受けた。
「ポチ、あんまりごはんを食べなくてね……」
その声の震えで、覚悟が必要だと悟った。
そして今日が、その日だった。
動物病院の先生は静かに告げた。
「無理に延命はしないほうが、きっと幸せですよ」
悠人は深く頷き、リードを手に取った。
「最後の散歩、行こうか」
ポチはその言葉に反応し、ゆっくり立ち上がった。
足取りは不安定でも、瞳の奥には確かな光があった。
公園を抜け、川沿いの小道へと向かう。
ポチの歩幅に合わせて、一歩ずつ。
川面には夕陽が反射して、キラキラと輝いていた。🌇
途中、子どもたちの笑い声が響く。
ポチはそちらを見て、小さく息をもらすように「フッ」と鳴いた。
悠人は微笑み、「楽しかったよな、あの頃」とつぶやく。
風が優しく頬を撫でた。🍃
ベンチに腰を下ろすと、ポチは悠人の膝に頭を預けた。
その重みが、少しずつ軽くなっていくのを感じた。
時間が止まったような、静けさ。
悠人は手をそっとポチの背に置いた。
「ありがとうな。お前がいてくれたから、俺、どんな時も寂しくなかった」
ポチは薄く目を開け、まるで笑うように舌を出した。
そのまま、夕陽の光に包まれるように、穏やかに目を閉じた。✨
――風が止んだ。
鳥の声だけが響いた。
悠人はポチを抱きしめ、涙をこらえきれなかった。
頬を伝う雫が、ポチの毛を濡らす。
でもその表情は、どこまでも安らかだった。
夜が訪れ、空には一番星が輝いた。🌟
悠人は空を見上げ、深呼吸をした。
「また会おうな。きっと、また」
次の日、悠人は庭にポチのための小さな花壇を作った。
そこに咲く黄色い花は、風に揺れて微笑むようだった。🌼
そして彼は、散歩道の入り口で立ち止まった。
風の匂いの中に、確かにポチの気配がある気がした。
「行こうか、今日も」
その瞬間、心の中で小さな足音が聞こえた気がした。🐾
悠人は微笑み、空へと歩き出した。
新しい明日へ、もう一度。


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