
ちっちゃなアイドルは回し車から世界へ
真田悠人、三十歳。
都内のワンルームに暮らす彼は、システム系の会社で在宅勤務を続けるごく普通のサラリーマンだった。
朝からノートPCを立ち上げ、資料作成やリモート会議に追われる日々が繰り返される。
収入は安定しているものの、やりがいを感じることは少なく、ただ「こなす」だけの毎日だった。
そんな彼の唯一の癒しは、机の横に置いた小さなケージの中にいる存在。
クリーム色のふわふわした毛並みを持つハムスターで、名前は「もち丸」。
ちょこまかと動き回り、ほお袋にエサを詰め込んでは顔をぷっくりと膨らませる。
その姿を見るだけで、悠人の心は不思議と落ち着いた。
「なあ、もち丸。お前が俺の上司だったら、もっと優しくしてくれそうだな」
ぼそりとつぶやくと、もち丸が回し車を勢いよく回した。
カラカラという音が部屋に響き、まるで「その通りだ!」と返事をしているように思えた。
在宅勤務の日々は、孤独と隣り合わせだ。
朝起きても通勤電車に乗らず、オフィスの雑談もなく、ただひたすらPCと向き合う。
上司からの指摘はチャットで届き、冷たい文字だけが画面に並ぶ。
だからこそ、もち丸の存在は心の支えだった。
ある日の会議で、上司がこう言った。
「真田くん、君の背景、もうちょっと明るくできないかな?ずっと灰色の壁だと、みんなも気が滅入るだろう」
その一言が、悠人の運命を変えるきっかけになった。
悠人は思った。
(そうだ、もち丸を背景にすればいいじゃないか!)
すぐにネットでペット用の小型カメラを注文し、ケージに設置した。
PCと接続してみると、もち丸の動きが鮮明に映し出された。
チョロチョロと走り回る姿がモニターに広がり、それだけで部屋の雰囲気がぱっと明るくなった。
次の会議で背景にもち丸を映すと、同僚たちは一斉に歓声を上げた。
「うわ、かわいい!」
「今、回し車で爆走してる!」
「今日の会議、癒されるなあ」
普段は厳しい上司でさえ笑みを浮かべ、
「真田くん、そのハムスター、次回も出演させてくれないか」
と言った。
会議が楽しいと思えたのは初めてだった。
在宅勤務の閉塞感を救うものは、案外ちいさな存在なのかもしれない。
それは、以前に読んだ犬猫スマート首輪事件簿!笑える日常の掌編を思い出させた。
日常の中の小さな工夫が、人の気持ちを変えてしまうのだ。
それ以来、背景の定位置はもち丸になった。
そして同僚の一人が言った。
「動画配信してみれば?」
半信半疑で始めた「もち丸観察チャンネル」。
最初は数人しか見ていなかったが、愛らしい仕草が切り抜き動画として拡散され、フォロワーが爆発的に増えた。
「おはようございます!今日ももち丸は元気です!」
「今朝のごはんはヒマワリの種です!」
実況を添えるだけで、もち丸の姿は大絶賛された。
「尊い!」「癒やされる!」というコメントが殺到し、視聴者数はみるみるうちに数万人規模に。
悠人は「ただ映す」だけでは物足りなくなった。
そこで思いついたのが駄洒落実況だった。
「回し車を回すのが仕事?いやいや、これは“会社の車輪”だね!」
「トイレから出てきたら……“ハム出たー!”」
これが大当たりだった。
視聴者たちは大爆笑し、「もっとやって!」とコメント欄はにぎわった。
悠人ともち丸は、もはや芸人コンビのように扱われるまでになった。
そんなある日、一通のDMが届いた。
「いつも元気をもらっています。実は私も在宅勤務で孤独だったんです。でも、もち丸を見て毎日笑えるようになりました」
送り主の名は美咲。
偶然にも近所に住んでいることが分かり、二人は会うことになった。
実際に会ってみると、想像以上に気さくで明るい女性だった。
気づけば一緒にもち丸の世話をするようになり、距離はどんどん縮まっていった。
「もち丸ってさ、私たちをつないでくれたキューピッドだよね」
「いや、キューピッドというより……“キュッと鳴くビッド”だな!」
美咲が吹き出し、悠人も笑った。
ペットや食に関する話題で盛り上がったとき、美咲は「こんなお話も面白いよ」と教えてくれた。
そのひとつがペットの未来食堂 ― 健康をめぐる物語だった。
「もし、もち丸が行ったら絶対に大人気だよね」
と笑い合い、自然と二人の会話は温かくなった。
やがて配信はさらに注目を集め、大手ペット用品メーカーからスポンサー依頼が届いた。
「もち丸をイメージキャラクターにしたい」という夢のような話だった。
悠人は信じられない思いで契約書にサインした。
地味な在宅勤務から一転、悠人は「ハムスター配信者」として注目される存在になった。
だが、彼の心は変わらない。
夜、配信を終えてケージを覗き込み、もち丸に語りかける。
「お前がいてくれるから、俺は頑張れるよ」
もち丸は回し車をカラカラと回し続けた。
その音は悠人にとって、未来へ進むための応援歌のように聞こえた。
彼は気づいた。
孤独を癒してくれたのは、もち丸だけではない。
画面の向こうで笑ってくれる人々、美咲との出会い、自分自身の変化。
そして、夜ふたりで読み合った未来ペットコンパニオンと歩く日常の一節が、これからの自分を後押ししてくれる気がした。
すべてが重なり合い、人生が少しずつ色づいていったのだ。
今日ももち丸は回し車を回している。
その小さな音は、世界へと響いている。
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