「ふと振り返った先にいたのは…🌸」
春の風が通り抜けた瞬間、懐かしい香りがした。
甘くて、少しスパイシーで、あの頃の記憶をまるごと運んでくるような香り。
人ごみのなか、その香りを頼りに私は思わず立ち止まり、そっと振り返った。
そこに——彼が立っていた。
大学を卒業して以来、一度も会っていなかった。
連絡も取っていなかったし、どこに住んでいるかも知らなかったのに。
彼は少し驚いた顔で、でもすぐに笑って言った。
「その香水、まだ使ってるんだな」
私は何も言えずに、ただ頷いた。
実はもう使ってない。
今朝、たまたま棚の奥から見つけて、気まぐれで手首に一吹きしただけ。
——まさか、それが彼を引き寄せるなんて。
彼は少し伸びた前髪をかき上げながら言った。
「香りって、不思議だよな。鼻より先に、心が反応する感じ」
「ほんとに」
ふたりの間に流れる空気が、かつての空気と重なっていく。
ふと、過去の記憶が胸をよぎった。
最後に会った日。
言いそびれた「ごめん」と「ありがとう」。
交差点の向こうで、彼の後ろ姿をただ見送った。
それ以来、同じ香水の匂いすら避けてきたのに、今日に限って——
「偶然だよね」
私がそう言うと、彼は少しだけ肩をすくめた。
「いや、たぶん必然」
そう言って、ポケットから出した切符を私に見せた。
終点は、私が住む街の駅。
「会う気はなかったけど、香りがしたから」
彼の言葉に、私は少しだけ泣きそうになった。
ずっと閉じ込めていた何かが、ふっと緩んだ。
「また、少しだけ話す?」
私の言葉に、彼は嬉しそうにうなずいた。
近くのカフェで向かい合って座ると、まるで昨日の続きのように話が始まった。
好きだった映画の話、最近始めた趣味の話、そして、あの日交わせなかった約束のこと。
ふたりの間に漂う香りが、あの春を思い出させてくれる。
言葉よりも先に、心が触れ合っていた。
別れ際、彼は少し照れたように言った。
「また、どこかでこの香りに会えるといいな」
私は笑って答えた。
「そのときも、振り返るよ」
香水の瓶を、今度は捨てられなくなった。
あの日とは違う春が、静かに始まっていた🌷
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