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バレンタインに元恋人から連絡が来る確率論

バレンタインの朝、通知音はやけに心臓に悪い。
特に、元恋人という存在が記憶に残っている人間には。
これは「来るか来ないか」に人生を左右されかけた一人の話だ。

二月十四日の朝は、なぜか空気が甘い。
実際に甘いのはチョコレートだけのはずなのに、スマホの通知欄まで砂糖漬けに見えるのだから不思議だ。

主人公の僕は、その朝、無駄に早く目が覚めていた。
理由は単純で、元恋人から連絡が来るかもしれないという、どうしようもなく小さくて、どうしようもなく厄介な期待のせいだった。

別れてから三年。
連絡先は消していないが、使われることもなかった。
誕生日にも、年末年始にも、特に何も起きなかったのに、なぜかバレンタインだけは別だった。

人はなぜ、バレンタインに元恋人から連絡が来る可能性を過大評価してしまうのか。
それはたぶん、イベントという名の免罪符が存在するからだ。

「久しぶり。バレンタインだから、なんとなく思い出して」

この一文が許される日が、年に一度だけ存在する。
それがバレンタインだ。

僕はベッドの中でスマホを手に取り、画面を伏せた。
見たら終わりな気がした。
来ていなければ、今日は一日ずっと落ち着かない。

こういう期待と現実のズレは、バレンタインに独身女が本音を包む夜でも描かれていたな、と思い出す。
あの話もまた、行事が心を無駄に揺らす物語だった。

来ていたら来ていたで、もっと落ち着かない。
人間は選択肢が二つあると、なぜか一番疲れる方を選ぶ生き物らしい。

僕は深呼吸して、画面を見た。
通知はゼロ。
平和だった。

その瞬間、なぜか胸がざわついた。
来ないと分かっていたはずなのに、分かっていなかった自分が、がっかりした顔をしている気がした。

「来ないよな。普通」

そう呟いた直後、スマホが震えた。
反射的に息が止まった。
心臓が一段ギアを上げた音がした。

通知欄に表示された名前は、見慣れすぎていて、見慣れていない名前だった。
元恋人だった。

「バレンタインだから、連絡しちゃった」

たったそれだけの文章なのに、脳内で会議が始まる。
これはどういう意味か。
深い意味はあるのか。
ないと言われたら、どのくらい平静を装えるのか。

返信欄を開いたまま、五分が過ぎた。
既読をつける勇気はないが、無視するほど大人でもない。
人は三年経っても、成長しきれない部分があるらしい。

結局、僕は無難な文章を選んだ。
「久しぶり。元気?」

たったそれだけ。
余計な期待も、余計な感情も含まないつもりだった。

しかし現実は、そんなに器用にできていない。
返事が来るまでの数分間、スマホを持つ手の汗は止まらず、心拍数は健康診断で怒られそうな数値を叩き出していた。

「元気だよ。なんとなく思い出してさ」

この「なんとなく」が、すべてを狂わせる。
意味がないからこそ、意味を探してしまう。
人間の脳は、暇を与えるとろくなことをしない。

会話は続いた。
仕事の話。
最近見たドラマの話。
当たり障りのない、安心できる距離感。

そして、唐突に来た。
「そういえばさ、チョコ作りすぎちゃって」

来た。
来てしまった。

この一文には、二通りの未来が含まれている。
一つは、純粋な処理依頼。
もう一つは、やや湿度を含んだ再接触。

僕は賢くなった大人のふりをして、前者を選ぶことにした。
「あるある。職場で配れば?」

数秒後、返事が来た。
「それがさ、職場の人、甘いの苦手で」

その瞬間、僕は悟った。
これは恋ではない。
これは余り物だ。

バレンタインという行事が生んだ、一時的な情緒と、チョコレート在庫問題。
そこに元恋人という要素が加わることで、やたらとドラマっぽく見えるだけだ。

人は昔の関係を、つい再利用しようとする。
それは合理的というより、感情のリサイクルに近い。
リサイクル恋愛:恋の再利用センターの奇跡という言葉が、妙にしっくり来た。

「そっか。じゃあ無理しなくていいよ」

そう送った後、会話は自然に終わった。
拍子抜けするほど、あっさりと。

スマホを置いて、僕はコーヒーを淹れた。
少しだけ苦い味が、やけに現実的だった。

元恋人からの連絡は、復縁の合図でも、未練の証拠でもない。
ただ、カレンダーに書かれた行事が、記憶の引き出しを少しだけ開けただけだ。

そう理解できたのは、たぶん三年前の自分より、少しだけ大人になれたからだろう。

それでも、夜になってチョコ売り場の前を通ったとき、なぜか一箱だけ、買ってしまった。
自分用だ。
たぶん。

バレンタインの連絡に一喜一憂した経験がある人は、きっと少なくありません。
この物語が少しでも「分かる」と思えたなら、他の短編もきっと刺さるはずです。
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