
屋上ランチと秘密のうちわ
「Q:徐風って読めますか?」
東京のビル群を見下ろす屋上テラス。
ランチタイムのわずかな休憩を使って、営業マンの和也は同僚の茜を招いた。
彼の手には白いうちわ。
そこには達筆で「徐風(そよ風)」と書かれている。
「徐々に吹くから“徐風”。
穏やかな風って意味なんだって」🌬️
和也はそう言いながら、茜にそっと風を送った。
茜の長い髪がふわりと揺れ、微笑みがこぼれる。
「へぇ、さすが漢字マニア」
茜は冗談めかしながらも、どこか嬉しそうだ。
実は二人、同じフロアにいながら挨拶程度しか交わしたことがない“ジョフウ”な関係だった。
互いの存在が視界に入っても、心の距離はビルの谷間より遠い。
だが今日、和也は意を決してメッセージを送った。
──「うちわを試したいので、屋上に来ませんか?」
茜は「面白そう」とだけ返信し、エレベータに乗った。
到着した瞬間、和也の手作り弁当の香りが風に乗る。🍙
「実験台にされるとは思わなかったな」
「実は弁当が本命」
和也は照れ笑い。
茜は竹の箸を受け取り、卵焼きをひと口。
「うわ、おいしい。
徐風どころか幸福が吹いてる」
ビジネス街の喧騒も届かない高さ。
空は初夏の青。
テーブルの上には二人分の麦茶が汗をかき、紙皿のサンドイッチが陽光に映える。
和也はうちわを動かし続ける。
緊張のせいで自分のほうが暑い。💦
茜は小さく息をつき、うちわの文字を指でなぞった。
「私…漢字苦手だけど、“徐々に”って響き好き」
「焦らなくていい感じがするよね」
和也はうなずき、うちわを止める。
沈黙。
風が止まったかに思えたが、茜の髪だけはまだ揺れていた。
「ねえ、徐風ってさ…ゆっくりでも、ちゃんと届く風なんだよね」
「うん」
「じゃあ私にも、ゆっくりでいいから…もっと届くといいな」
頬が熱くなる。
和也は再びうちわを振る。
しかし今度は自分の心臓まで扇がれているようだ。
茜の瞳が細くなり、笑みが深くなる。😊
遠くで昼休み終了のチャイムが鳴る。
「戻らなきゃ」
茜は席を立ち、テーブルを片づけようとした和也の手を制した。
「今日は片づけ、私がやるよ。
その代わり…次は私が徐風を贈る番」
そう言って、彼女は和也のネクタイを指でつまみ、そっと揺らす。
ネクタイの小さな風が、今度は和也の頬を撫でた。
「ほら、これも立派な徐風」
階段へ向かう背中が並ぶ。
もう二人の間にビルの谷間はない。
エレベータのドアが閉まる瞬間、和也は小声で呟いた。
「徐風は、恋のはじまり」
ドアの向こうで、茜の笑い声が短く弾けた。
それは確かな風音となり、和也の胸に心地よく残った。✨
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