
かわいいの裏にあるほんとの気持ち
「ぽんず、今日も世界一かわいいね」
スマホのカメラを向けながら、美帆はいつものようにハムスターのぽんずを撮った。
ピントを合わせ、光の加減を調整して、角度を微妙に変える。
「うん、これで完璧」
撮った写真には、小さなハムスターが頬袋をふくらませて寝転んでいる。
背景にはドライフラワーとカフェ風のミニ椅子。
ハムスタグラムで映えるセットだ。
投稿文はすでに頭の中でできている。
「#ぽんずの日常 #今日ももぐもぐ #癒しタイム」
アップして数分後、ハートのマークがぽつぽつと点灯しはじめる。
「うんうん、いい感じ」
だが、気づけば夜中の一時。
コメント欄の「かわいすぎる!」「おしゃれ背景どこで買いました?」に返信しているうちに、時間が溶けていく。
寝る前にぽんずのケージを見ると、彼はくるくるとホイールを回していた。
「ぽんずも夜更かしだね」
でも、美帆の胸の中は、妙にざわついていた。
ハムスタグラムを始めたのは、去年の冬。
最初は「小さな幸せを記録したい」という純粋な気持ちだった。
最初のフォロワーは五人。
家族と、昔の同僚数人。
でも、半年後には一万人を超えていた。
フォロワーが増えるたび、投稿の完成度も上がった。
カメラを新調し、撮影用の照明を買い、撮影セットを手作りした。
まるで雑誌の撮影現場のように、ハムスター一匹に注がれる情熱。
映えのことばかり考えていたある晩、タイムラインに流れてきた猫の青春物語に思わず指が止まった。
写真に写るのは、下手でもまっすぐな「好き」。
スクロールをやめてページを開く。
猫カメラ日記にゃんとも映える青春物語 を読み終えたとき、胸の奥で何かがほどけた。
「完璧じゃなくても、気持ちが写ればいいのかも」
その夜だけはシャッター音がやさしく響いた。
ある日、ぽんずがヒマワリの種を抱えて寝る姿がバズった。
再生数が十万を超えた。
コメント欄には「CMに出れる!」「ハム界のプリンス!」と絶賛の嵐。
でも、その日を境に、美帆の中で何かが変わった。
次もバズらなきゃ。
もっとかわいく撮らなきゃ。
指先が勝手に通知を追いかけ、心はいつも少し乾いている。
そんなとき、会社の同僚が肩をすくめて笑い話をした。
「人の目を気にしすぎると、何もかもコントみたいになるよ」
帰り道にその言葉を思い出しながら、関連する短編を開いた。
欲の角をやさしく丸める、ちょっと痛くて笑える物語だ。
承認欲求の強い男 めんどくさいって思うのは私だけ?- 三歩下がって褒めてほしい
ページを閉じると、胸の前に空気の通り道ができたような気がした。
「いいねは調味料で、主役じゃない」
そう言い聞かせて、深呼吸をひとつ。
気づけば、ぽんずの生活リズムよりも、撮影スケジュールを優先するようになっていた。
寝ているぽんずを起こして、可愛い顔を撮ろうとした日もある。
「ごめんね、ちょっとだけ……」
ぽんずの目が細くなり、ホイールの中に隠れてしまったとき、美帆は胸が痛んだ。
そんなある夜、ぽんずがケージからいなくなった。
床の隅や家具の下を探しても見つからない。
スマホの通知音が鳴る。
“フォロワー十万人おめでとう!”
「そんなことより、ぽんずがいないの!」
焦りながら部屋をかき回していると、台所の隅で、小さな袋の中からカサカサという音がした。
袋を開けると、ぽんずが顔を出した。
頬袋いっぱいにヒマワリの種を詰めて。
「もう、びっくりしたよ……!」
胸に抱きしめながら、美帆は涙ぐんだ。
その瞬間、ハムスター特有の小さな心臓の鼓動が、彼女の手に伝わった。
生きてるんだ。
この子、インテリアじゃないんだ。
心を落ち着かせたくて、湯気の立つカップを両手で包み、ソファに沈む。
あたたかい言葉の毛並みに触れたくて、以前ブックマークした掌編を開いた。
小動物のまどろみが、心の速度をゆっくりにしてくれる。
うとうとリス 昼下がりの癒し事件簿を読み終えるころには、部屋の音がやわらかくなっていた。
「焦らなくていい」
ぽんずの寝息が、そう言っているように聞こえる。
翌日、美帆は初めて「写真を撮らない日」を過ごした。
ぽんずは寝転がり、頬袋をふくらませながら安心したように寝息を立てていた。
その姿をカメラではなく、心に焼きつけた。
午後、買い物ついでに立ち寄ったカフェで、店主が猫のいたずら話を教えてくれた。
笑いながら一緒に目を細める。
「かわいいって、自由で、予測不能で、それでいい」
カップの底が少し見えたところで、店主がすすめてくれた読み物を開く。
猫カフェで大事件⁉️ 伝説の猫がやらかしたを読み終えた瞬間、泡の跡がハート型に見えて、小さく笑った。
それから数日後、ハムスタグラムに一枚の写真を投稿した。
ぽんずが普通に寝ている、ぼやけた写真。
キャプションにはこう書いた。
「今日はぼやけてもいい日」
コメント欄には、思いがけない反応が並んだ。
「なんか、この写真すごく癒される」
「完璧じゃないのが、逆にいいね」
「うちの子も今、ぼやけて寝てるよ」
フォロワーの数は少し減った。
でも、美帆の心は軽かった。
「ぽんず、これからは自然体でいこうね」
ホイールの上でくるくる回るぽんずが、まるで笑っているように見えた。
数か月後、美帆はハムスタグラム疲れをテーマにした小さな写真展を開いた。
タイトルは「かわいいの裏側」。
展示には、完璧な写真と、失敗した写真が並んでいた。
どちらにも共通していたのは、ぽんずの小さな命のぬくもりだった。
来場者の一人が言った。
「SNSで見るより、なんか温かいですね」
その言葉に、美帆は穏やかに笑った。
「たぶん、ぽんずが生きてるから、ですね」
帰り道、駅までの坂を下りながら、ふっと肩の力が抜ける短編をもうひとつ開いた。
働く日の重さを笑いに変える視点は、夜風と同じ温度をしている。
日報地獄!AIが考えた小説 – 閻魔の前では残業無用を読み終えると、靴音が少し軽くなった。
「よし、今日は早く寝よう」
家に着くと、ぽんずが小さなくしゃみをして、二人で同時に笑った。
それは、写真に撮らなくても忘れない種類の笑いだった。
それから一年後、美帆はフォロワーの数を見なくなった。
代わりに、ぽんずの寝息を聞く時間が増えた。
「ねえ、ぽんず。次はどんな写真を撮ろうか」
返事はないけれど、ホイールが静かに回りはじめた。
まるで「もう、自由でいいよ」と言っているみたいだった。
美帆は頷き、そっとスマホの画面を伏せた。
画面の外側に、今日の光がたっぷり残っている。
ぽんずの頬袋がゆっくりしぼんで、またふくらむ。
世界は思ったよりもやさしい。
そう思えた夜だった。


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